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企業家・若林克彦(ハードロック工業株式会社)
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企業家・若林克彦(ハードロック工業株式会社)
〜 世界初、夢のナット開発に賭ける 〜
WAKABAYASHI
Katsuhiko
ハードロック工業株式会社
代表取締役社長
生年月日 1933年9月9日
少年時代から製品開発の面白さに魅せられる。設計技師として働くも、独力で緩み止めナットを開発し、 28 歳で起業。その後、楔(くさび)の原理を応用した「ハードロックナット」を開発。世界でも類を見ない絶対に緩まないナットは、国内のみならず世界からも注目を浴びる。世界的な大競争時代にあって、日本の町工場の優れた開発・技術力を象徴するオンリーワン企業として、その名を知らしめる。
ライター・稗田和博 写真・蔵本徹
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※出演者の肩書き・役職名は放送当時のものです。
2008年10月27日放送
「“安全“を開発せよ!~ナニワの発明王が吼える!日本のものづくりは死なない~」
ゲスト
若林克彦(わかばやし・かつひこ)氏
(ハードロック工業 代表取締役社長)日本の経済成長を支えてきた製造業。大手メーカーの中国シフトや国際競争の激化、系列の解体などニッポンのものづくりの根幹を支えてきた中小企業が、今、苦境に立っている。
そんな逆風の中においてもオンリーワンの技術で、世界を席巻する中小企業がある。大阪、東大阪市にある社員40名の部品メーカー、ハードロック工業だ。この小さな会社を率いるのは、
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【トップ直撃】ハードロック工業 若林克彦社長(76) - 経済・マネー ...
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【トップ直撃】ハードロック工業 若林克彦社長(76)
2009.09.28
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「ハードロック工業」若林克彦社長【拡大】
−−衝撃、振動にも緩まないハードロックナット(HL)は、新幹線や高速道路、橋など安全が求められる現場に不可欠な製品です 「開発から35年。『安全は威力』をキャッチフレーズに製造を続けてきましたが、おかげさまで新幹線ではほぼ100%のシェアをいただいています」 −−HLの前に、緩み止めのUナットを開発したそうですね 「28歳のとき、大阪の国際見本市から、戻り止めナットと呼ばれるもののサンプルを持ち帰ったのがきっかけです。構造が複雑だったので、簡便化と低価格化を目指し、まず自分でサンプルを作ってみました」 −−Uナットは売れましたか 「とんでもない。問屋にサンプルを持って行っても『こんなもん、売れるか!』と放り投げられました。数カ月してもまったく売れず、段ボール箱に入れたナットをコンベヤーメーカーに持ち込んでタダで使ってもらう時期が続きました」 −−もともとナットに興味があった 「当時は設計技師でしたから、さほど関心もなく、今の姿は想像していませんでした」 −−Uナットが軌道に乗ったのは? 「開発から2年後、大手のコンベヤーメーカーから『伝票入れときな』と言っていただいた。それから、ほかのコンベヤーメーカーを『大手のあそこに使ってもらっている』と口説きながら、受注が増えていきました」 −−その後は順調に 「いえいえ。当時は広告に『絶対緩まない』と派手に打っていまして。それが許された時代でもありましたが、お客さんは広告を信用して削岩機などにUナットを使うものですから、当然緩んで外れますわな。年間数十件の苦情を招いてしまいました」 −−次にHLが登場します。誕生のきっかけは 「大阪の住吉大社の鳥居がヒントになりました。柱と柱の間に渡した木にくさびが打ち込まれ、固定されているのをみて、これだとね。試行錯誤しながら開発するのに1年ぐらいかかりました」 −−HLの模造品も出ているとか 「中国など海外で特に出回っています。見た目は同じですが、性能にムラがある。他社が高性能で均一な商品を作り続けるのは難しいとみています」 −−アイデアを生み出す秘訣は 「現状に満足しないことです。どのマーケットに出ている商品も、完成度は70%ぐらい。良くできていると考えてしまっては、開発の道は開けません。改善の余地がみえてくれば、アイデアは出てきます」 −−HLも未完成品? 「緩まないのでお客さんは文句を言いませんが、2個のナットで締めるのは面倒だし、重いからコストが高くつく。完成度は80%といったところで、改善の余地はまだ残っていますよ」(清宮真一)■「他社がマネできない」 若林社長が開発したハードロックナットは凹凸の2個1セット。凸ナットの突起面にわずかな厚みの差(偏芯)を生じさせ、凹ナットを回し込む際にくさびの効果が働く仕組みになっている。若林氏は「偏芯はミリ単位で大きすぎても小さすぎても作用しない。独自のノウハウを生かし、他社がマネできない精密部品」と話す。■わかばやし・かつひこ 1933年9月9日、大阪市生まれ。76歳。大阪工業大機械学部卒業。バルブメーカーで設計技師として勤務し、61年に独立。74年にハードロックナットを開発し、ハードロック工業を立ち上げた。 【発明】小学4年のときに作った種まき機が人生初(?)の発明品。薄い円形ドラムの曲面に等間隔に穴を空け、種を入れて回転させる仕組み。「センスがええ、とほめられ、大人たちもこぞって作りました」 【鉄道模型】高校時代からのマニア。本社工場には1周80メートルのレールと、最大20人を乗せ時速20キロで走る蒸気機関車も。ミニSLを約10台そろえ、総費用は約3000万円という。「工場見学に来たお客さんの接待にも使っていて、受注に一役買っています」 【座右の銘】人生はたらいの水。「自分のことで欲をかいたら逃げていく。世のため人のために働いていたら、利益が回ってくる」■会社メモ ハードロックナットやハードロックベアリングナットなど、緩み止めねじ全般の製造・販売。1974年、大阪市城東区で設立し、90年に東大阪市に本社を移転。同市内に4工場と韓国、中国、豪州、英国に代理店を持つ。資本金1000万円。従業員48人。2009年6月期の売上高12億円、経常利益9000万円。
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若林克彦 ハードロック工業社長[カンブリア宮殿]【TVで観たあの経営者】
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http://ijin.keieimaster.com/wadai/tv/833.html
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若林克彦 ハードロック工業社長[カンブリア宮殿]【TVで観たあの経営者】
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TVで観たあの経営者
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若林克彦 ハードロック工業社長[カンブリア宮殿]
更新日: 2008-10-27
カンブリア宮殿“安全“を開発せよ!〜ナニワの発明王が吼える!日本のものづくりは死なない〜2008-10-27[月]/テレビ東京[12ch]■若林 克彦【わかばやし・かつひこ】【肩書き】ハードロック工業社長【生年月日】1933年9月9日【年齢】75歳【出身地】大阪府大阪市【学歴】1955年大阪工業大学機械学部卒業【経歴】1933年9月9日大阪府大阪市に4人兄弟の長男として生まれる今宮工業高校卒業を経て1955年大阪工業大学機械学部卒業1955年バルブメーカーに就職と設計技師に1961年緩み止めナット「Uナット」を開発。バルブメーカーを退社し、「Uナット」の製造・販売を開始1974年ハードロック工業を設立、「ハードロックナット」の製造・販売を開始1977年ハードロック工業?に改称1998年日刊工業新聞社主宰の第15回優秀経営顕彰式で「研究開発者賞」受賞2003年(社)中小企業研究センター主催第36回中小企業研究センター賞の「特別奨励賞」受賞2004年東大阪商工会議所1号議員(金属工業部会常任幹事、中堅中小企業委員)キーワード:【わ】[は][大阪府][大阪工業大学][1933][09-09]
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